2016/01/13
コラム
山本太郎直伝 黒鯛流儀 かかり釣りについて
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かかり釣りの歴史
かかり釣りの歴史は意外に浅く、昭和20年代後半~30年代前半に始められたといわれており、三重県の鳥羽湾や福井県・若狭湾辺りが起源とされている。聞くところによると、真珠やカキの養殖棚に無数に群がるチヌをそれぞれの養殖業者がごく一部の釣り人達に釣らせたのが始まりとか。その当時は養殖棚に船頭付きの仕立て船を掛け、手釣りで釣らせたと聞く。
かかり釣り専用タックルの登場
やがて繊細なアタリを取るため、1mにも満たない短竿が登場。
アタリは短竿でとり、チヌが掛かると手釣りでやり取りをしていた。
私がかかり釣りを覚えた若狭湾本郷の先代船長に聞いた話を紹介すると、短竿の長さはおおよそ60㎝。勿論現在のような小型リールはなく、手延べ竿に井桁糸巻きを簡単に取り付けたものだったらしい。
釣り方はカキかアコヤ貝(真珠貝)を撒きながらのスタイルで、やがてはアケミ貝や淡水の沼エビも使うようになった。
ダンゴ(当初は赤土に大量のサナギミンチ)を使ったいわゆる「若狭釣り」が一般化するまで、様々な釣り方が試されていたと聞いている。また真珠やカキが吊ってあるポイントでの手釣りであるがゆえ、せっかくチヌを掛けてもバラした数は相当なもので、大半は獲れなかったようだ。
古きよき時代の話だが、その当時の話を聞いているだけで、胸がワクワクしてくる。
各社からかかり釣りの専用タックルが開発されるようになったのは昭和50年代の第一期ブームから。シマノでは青波巧シリーズの専用竿を軸に、リールにおいても、デミ→チヌマチック→SEIHAKOU →SEIHAKOUリミテッドとその時々の最先端のテクノロジーを採用しながら着実に進化を遂げ、かかり釣り人気の基盤を担っている。
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