2021/02/19
コラム
「嵐月」&「閃光L」で挑む。岡田 清、三島湖桟橋で、“聖地”の大型と知恵比べ。【後編】
三島湖ともゑの桟橋に、超大型の気配あり――――――。
そんな情報をキャッチした我々は、意外なこの人に実釣取材をオファーすることにした。
泣く子も黙るトーナメントレジェンド・岡田 清だ。
すでにみなさんご存知のとおり、岡田は野釣りのスペシャリストでも何でもないが、それだけに、読者のみなさんと同じ新鮮な気持ちで“聖地”三島湖と対峙してくれると思ったのだ。
「ほんと、ワクワクする! やってみたい釣りもあるし、俺なりの釣り方のイメージはあるので、どうなるかは分からないけど、ありのままを書いてもらえればいいと思う。ある意味釣果度外視の部分もあるので、まったく釣れなかったら…ゴメンね(笑)」
聞けば尺半クラスの「巨べら」も交じるという、ともゑ桟橋。しかしそれだけに数は望めず、一歩間違えば貧果に終わることも十二分に予想された。しかも釣り人は、基本、管理釣り場が釣行の主である岡田 清だ。
しかし岡田は、氏ならではの「浪漫」と「こだわり」も見せつつ、自分なりのやり方で三島湖の超大型ににじりよっていくのだった。
前編記事はこちら
苦戦。「イメージ」の崩壊…
サワリはすぐに出た。しかし気になったのは、そのサワリが落ち込みのタイミングではなく、かなり待ってからということだった。
「遅過ぎるよね。」
イメージしてきたウキの動きとかけ離れているのか、岡田も首をひねる。
サワリの「遅さ」ともうひとつ気になっていたのが、予想以上に早く水面に見え隠れしてきたへら鮒の存在。
そのへらが簡単に「喰う」とは思えないのだが、思った以上にへらが出てくる。これはウワズっているのか、はたまたこの曇天でタナ自体がもっと高いのか…。
浅いタナや短竿での管理釣り場的な攻め方は封印してきた岡田。かといって、バラグルであの見えているへらを攻略できるとも、とても思えない。
「う〜ん、毎回ウキは何か動くんだけど、とにかく反応が鈍いよね。それに、遅い。でもあの動きはギルとかではないと思うんだよなぁ。もう少し打ってみようか。」
簡単に1枚目が釣れてくるかと思いきや、なかなか強いアタリが出ないまま時間は刻々と過ぎた。
30分、そして1時間…。
気が付けば開始から2時間が経過し、時計の針は9時を指していた。
「ちょっとこれはさすがにヤバいよね(苦笑)。」
野釣りでは、時に管理釣り場以上に判断を急いで釣り方を変えるのは危険だったりすることもある。へらが寄ってくると、状況が一変することがあるからだ。しかし残念ながら、この日に関してはそのような「好転」は見込めないようだった。
2時間打って「かなり待ってからモジモジ」という、イメージとしては「最悪」な状況は変わらず。岡田のイメージは、すでに「崩壊」していたのだ…。
ブルーギルもハリ掛かりしてこないことから、弱く遅いサワリはへら鮒のものであると判断。岡田は不本意ながら攻め方の修正を始めることとなる。
まず着目したのは、あの「遅いタイミングで出るサワリ」。
ここで岡田はクワセを「わたグル」単品(粉50ccに対して水75cc)にスイッチ。これをハリがようやく隠れるくらいに小さく付けてみる。すると…
「明らかに反応が強くなったね。やっぱりこっち方向なのかな」
サワリが出るタイミング、そして強さともに明らかに上向く。しかし、ちょっぴり残念そうな岡田。なぜなら、これが正解なら、岡田のイメージしてきた釣りとは真逆をいくからだ。
9時15分、バラケを先端まで深ナジミさせ、そこからジワジワと返させるという「不本意な」攻め方にシフトすると、初めて「チクッ!」と明快にアタって岡田がアワセを入れた。
ゴツンと竿が止まって、「ようやく片目が開いたか」と思いきや、なんとこれは口脇のスレでノーカウント。
そして岡田がなんともいえない声のトーンで呟く。
「これはしめてかからないと…。このへらだもんな…。」
スレで上がってきたのは、思わず声を出して驚いてしまうような黒々とした40上だったのだ…。
魚はイメージどおり。しかし、岡田の想定の遥か上をいく渋さ、手強さ。早いアタリどころか、アタリそのものを出すことさえ困難。当初の釣りのイメージは、完全に崩壊していた。
これは手強い…。
正直、この時点で筆者は5枚以下の貧果を覚悟していた。
おそらくこの悪コンディション(雨&冷え込み)も影響しているのだろう。へらの気配は常にあるが、あまりにも渋過ぎる。しかもこのへら(超大型)である。そう簡単に釣れるとは思えない…。
ネガティブな思考に支配され始めていた筆者に対し、岡田は違っていた。ますますその両の眼を輝かせ、釣りにのめり込んでいくのだ。
「いいねぇ、さすが三島湖、そうこなくっちゃ。ちょっと攻め方を変えてみるね。」
岡田は生き生きとそう言って、それまでよりバラケをしっかりめに付ける。
にじり寄る…。
一気に釣りのテンポを「スロー」にシフト。早切りは一切せず、オモリを切ってエサ落ち目盛を出し気味にしたうえで深くナジませ、ゆっくりゆっくり返すようにしていく。
下ハリスも70cmから80cmに伸ばし、さらにはハリを4号から3号にサイズダウン。滞空時間を稼ぐ。
「いやぁ、今のは待ったねぇ!(苦笑)」
10時、ついに「嵐月」が鋭いアタリをとらえた。弱いサワリが続く中でバラケがジワリと抜け、さらにはそこからクワセだけでかなり待ってから出た、真冬の段底のような小さなアタリだった。
「いやしかし、このへらは凄いね。ここは亀山じゃないよね(笑)。」
1枚目はサイズ42cm。お隣、巨べらのメッカ亀山湖に勝るとも劣らない素晴らしい大型である。
2枚目はさらにそこから30分後。やはりかなり待ってからのアタリで、しかも竿は「嵐月」16.5尺から「飛天弓 閃光L」18尺へと変わっていた。
さらに、深く――――――。
実は岡田が竿を替える前、筆者は岡田に、16.5尺のままタナを浅くしていくか、13尺くらいに短くしてはと、よけいな進言をしていた。どうにもへらのタナが高い(浅い)ように思えたからだ。しかし、岡田は首を横に振った。
「確かに数を狙うならそっち方向なんだと思うんだよね、俺も。でも今日はもうはっきり決めた。とにかくデカいのを釣りたい。だってこんなへら、なかなか釣れないよ。確信はないけど、サイズアップを狙うなら『浅く』じゃないと思うんだよね…。」
11時のランチタイムまでに、カウントは僅かに「2」。「ともゑ」で熱々のカツカレーをかっこむと、岡田は急ぎ足で釣り座に戻り、釣りを再開するのだった。
さらなる深淵へ…。22.5尺。そして、超ロングハリス!
昼食後、岡田は「飛天弓 閃光L」18尺を仕舞うと、なんと、さらに長い21尺を継ぎ始めた。
しかしこの日の三島湖の大型は、本当に手強い。えてして竿を換えた直後というのは目先が変わって(それがたとえ正解ではなくても)簡単に釣れたりするものだが、18尺から21尺に換えると、ウキの動きは静かになってしまったのだ。
「いや、手強いね(苦笑)。そうきたかって感じだよ。」
12時に再開し、13時過ぎまで21尺を引っ張ってみるも、ウキの動きは悪化の一途を辿った。雨こそ上がったが、相変わらすの曇天。やはりタナが深過ぎるのか…。
ここで岡田は賭けに出た。
なんと21尺を仕舞い、さらに長い22.5尺を継いだのだ!
「たぶん、また18尺とか16.5尺に戻しても、アタリは増えるかもしれないけど、サイズアップは難しいと思うんだよ。ならば、21尺でダメなら、もっと深いところを狙ってやれ、と。『閃光L』なら、軽くて、臆せず試せるからね。まだまだ長いのもいけるし!」
竿を「飛天弓 閃光L」22.5尺にチェンジした岡田。して、その結果は…
「おおっ、明らかに動きが変わったよ!」
なんと、竿を長くすると、確かにウキの動きに躍動感が現れ始めたのだ!
ここで岡田はチャンスとばかりに畳み掛ける。バラケのブレンドから「浅ダナ一本」を抜き、「凄麩」に置き換えてネバボソにシフト。これを小さくしっかりつけて、さらにウキの上がりをゆっくりにする。
それだけではない。なんと下ハリスを80cmから1mに伸ばしたのだ。
ジワリと返しながらサワリが続き、そのまま「チクッ!」。この日初めて、連動しながらのアタリが出始めた。
「正解…とまでは言わないけど、やっと納得できる雰囲気になったね。」
一気にカウントが進む。最小でも38cm。アベレージで40cm前半。そしてついに、14時30分にはこの日最大となる44cmを仕留める。サイズもさることながら、魚体のコンディションが段違い。釣り方が「合っている」証拠だった。そして22・5尺で7枚を追加した岡田は、「納得の釣り」に溜飲を下げたのである。
「ヒヤヒヤだったね(苦笑)。でも、最高に面白かった! ここ(三島湖)にハマって通いつめちゃう人がいるっていうのも、大いにわかるような気がするよ。自分的には長い竿で大型が釣れたっていうのが嬉しいなぁ。こういうダム湖に来たら、やっぱり短竿より長竿を振りたいからね。釣果だけを求めるなら短竿で管理釣り場的な釣りをやれば、数はもっといったと思う。でも、それじゃあ愉しくないでしょ。俺って案外、『釣れればなんでもいい』という考えにはなれないんだよなぁ。特に、こういう野釣りではね」
稀代のトーナメントレジェンドが、「朱紋峰 嵐月」&「飛天弓 閃光L」を武器に、“聖地”の超大型に挑んだ1日。みなさんもぜひ、たまにはその手に長竿を握り、広大なダム湖に繰り出してみては?
プロフィール
岡田 清 (おかだ きよし)
【フィールドテスター】
シマノジャパンカップへら釣り選手権大会は01年、02年と連覇し、03年は準優勝、09年に3回目の優勝をした。ジャパンカップと同様に予選会のある全国大会で通算7度の優勝を記録。「日本最強のトーナメンター」またの名を「鉄人」「トーナメント・モンスター」とも呼ばれる。
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