“為せば成る、為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり”

この誰もが一度は耳にしたことのある言葉は、江戸時代末期に米沢藩の第八代藩主・上杉鷹山が家臣に詠み与えたものである。「やればできる。やらなければ何事もできないのだ。できないのは、やろうとしないからだ」という鷹山の教えは、釣りの心にも通ずる。

上杉氏が治めた米沢藩とは、お察しのとおり、現在の山形県米沢市である。県内で4位の人口を擁する市の南部は広い山地。谷筋には大小の川が流れ、多くの渓魚たちが息づく。「大きい魚とか遡上魚とか欲張らなければ、結構近場で楽しめてしまうんですよ。水況によって川を選べますし、移動するにもさほど時間は掛かりません。まぁ、渓流釣りをするには恵まれた環境ですね」

こう話すのは、米沢で生まれ育った我妻徳雄さんである。源流のイワナから本流のサクラマスまで釣りこなす人であるが、平素は出勤前の数時間、地元の川で竿を出すことが多いとのこと。

山形県内でも指折りの豪雪地帯である米沢の春は遅く、短い。新緑の季節から駆け足で夏に向かう頃、我妻さんと一緒に渓へ出かけることにした。

「米沢周辺の河川は、あまり人の手が入っていない所が多いですね。頑張って上流へ行けばイワナが釣れるような源流もありますが、多くは里川のヤマメ釣り場です。そこそこ数が釣れますし、市内には温泉が10箇所あるので、のんびりと釣りを楽しみたいという方には人気があるようです。最近では県外からの釣り人も見かけるようになりました」

米沢近郊の主なヤマメ釣り河川は、大樽川、小樽川(鬼面川)、羽黒川、天王川の4つ。いずれも6mの小継竿がちょうどよい規模とのことだ。護岸されている箇所も少なく、市街地から近いにもかかわらず、自然に近い景色の中で竿を出せるのが魅力だ。

解禁は4月だが、本格的に釣れ始めるのは5月の連休が過ぎ、雪代が収まってから。7月からは尺上も混じり始める。

「大きいのは34〜35cmまででしょうかね。ただ、陸生昆虫がたくさん棲息しているので、幅広の綺麗な魚が釣れるんですよ。引きも強いですしね。8月に入るとアブが増えて厄介なのですが、これを我慢できるなら、よい釣りができると思いますよ(笑)」

市街から車で20分も走ると、人家もまばらになった。やがて舗装路から農道に入り、その突き当たりで車を止めた。この日、最初に入るのは大樽川である。

大樽川は穏やかな川相。渓に下りれば人工物はほとんど視界に入らない。

川幅は10m足らずで小継竿にピッタリ。岸には草木が茂り、人の手はほとんど入っていない。

大樽川は我妻さんの自宅から車で数分の所にある。我妻さんにとっては毎朝の散歩コースのようなもの。

山里には遅い春が訪れていた。緑の景色の所々に淡いピンクが顔を覗かせていた。

身支度を調えた我妻さんは、藪を掻き分けて渓を下りていく。川筋へ辿り着くと、人工物は何も視界へ入らなくなった。普段よりやや水が高いとのことだが、対岸まで10m足らずの、いわゆる渓流相である。

「まずはこのあたりから始めてみます。ここから釣り上がって、渓を出られる箇所へ着くまで2時間くらいでしょう」

我妻さんが手にした竿は、このところお気に入りの『弧渓ZM 61H』。流れを見渡したところでは落ち込みと深みが続いており、落差はさほど大きくない。線で流せるポイントも多いので、チューブラー穂先の本調子が活きる川相だ。落差があって小さなポイントを点で撃っていくような川相なら、ソリッド穂先の先調子が使いやすいといえるが、そこについては「もう1本、ソリッド穂先の『渓峰尖ZW』も持ってきていますよ」とのこと。さすが、ぬかりないのである。

竿はお気に入りの「弧渓ZM 61H」。藪漕ぎや川切りを強いられる大樽川では小継竿の機動力が遺憾なく発揮された。

エサは市販のミミズ。動きを活かすためにチョン掛けにする。

ハリやオモリは「スタッフケース」に小分けして収納しておくと、必要なときすぐに取り出せて便利だ。

通し仕掛けを好む釣り人が多いなか、我妻さんは天上糸を多用する。仕掛け巻きに予備の水中糸をストックしているので、仕掛けが傷んだら即座に交換する。

第一投は、瀬から落ち込んだ流れがギュッと絞れた、いかにもヤマメが潜んでいそうな筋に投じられた。アタリはない。次の一投は筋の向こう側にできた流れの壁に入れた。しかしこれも触ってくれない。

今度は手前。流れが開いて仕掛けを上げようかというとき、岸から張り出した茂みの陰でモワッと目印の動きが止まった。取り込んでみれば23〜24cmはあるなかなかのサイズ。しかしここで、我妻さんが首を傾げたのである。

岸から張り出した茂みの際でヒット。仕掛けを流し終えて上げようとしたときだった。

1尾目は23〜24cmとまずまずのサイズ。茂みの陰に身を潜めていた個体だろうか。

「本来喰ってくるはずのポイントから外れた、変な所で喰ってきたんですよ。先行者がいたのかなぁ」

そんな我妻さんの予感は、釣り上がるほどに真実味を帯びてきた。当たり前のポイントで喰ってこない。アタリがあるのは木の枝が覆い被さった場所など、仕掛けを入れにくいポイントばかりなのである。

「仕掛けを入れるのが難しいポイントにしか魚が残っていないですね。まぁやってみましょう。魚を釣る自信はありませんが、キャスティングだけは自信があるんですよ(笑)」

先行者がいたのか当たり前のポイントで喰ってこない。対岸から張り出した枝の下など、釣りにくいポイントへ正確に仕掛けを打ち込んでいく。

我妻さんのキャスティングは変幻自在。周囲のスペースに応じて様々な角度から仕掛けを振り込む。

ご謙遜される我妻さんであるが、見ればなるほど。頭上の障害物に注意しながら竿を上下左右に振り分け、巧みに仕掛けを打ち込んでいく。ほとんど竿を振るスペースがない場所でどうするかと思いきや、バス釣りさながらに穂先をクルリとロールさせて仕掛けを投じたのは見事だった。竿先で螺旋を描いた糸がスルリと伸び、エサがピンスポットへ吸い込まれていくのである。

小型を引き抜く。状況は芳しくないが、竿抜けを見つけては着実に喰わせていった。

時々木の枝に仕掛けを絡ませてしまうのは攻めている証拠。こんなときも我妻さんは落ち着いて仕掛けを手直しし、釣りのリズムを崩さない。昨今は1本物の通し仕掛けを多用する人が増えたが、我妻さんは移動式の天上糸を使う。仕掛けが傷めば、あらかじめ作っておいた予備の水中糸を手早くセットする。とにかく立ち回り方に無駄がなく、スマートなのだ。

このクラスが当日の最長寸だったが、狙った場所で思い通りに喰わせた1尾は嬉しいもの。

そうこうしているうちに、渓の出口に辿り着いた。確かにこの日の大樽川は本調子ではなかったのかもしれない。しかし、きわどいポイントを攻めながら、釣果は軽くツ抜けしているだろう。このうちの大半は、並みの釣り師では釣れなかった魚なのかもしれない。

ここで昼食を取り、午後からは小樽川に入ることにした。

大樽川のヤマメ。幅広のよい魚体だ。夏を迎えて陸生昆虫が出てくると、これを喰った丸々とした個体が楽しませてくれる。

“為せば成る、為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり”成したかどうかは神のみぞ知るところだが、我妻さんが最後まで為したことは確かである。