九十九折りを上り、浄蓮の滝を過ぎ、わさび沢、隠れ径を見ながら谷を詰めると、目前に天城連山が立ちはだかる。ここが川端康成の「伊豆の踊子」や松本清張の「天城越え」の舞台として名高い天城峠である。昭和の名歌「天城越え」は、1905年(明治38年)天城隧道が開通するまで交通の難所であった峠の険しさになぞらえ、男に裏切られてもなお愛を貫く女性の情念を歌ったものである。
東海道の三島宿から中伊豆の湯ヶ島を経て天城峠を越え、下田へ至る下田街道。天城峠の北側で街道に沿って流れるのはアユの名川として知られる狩野川である。天城隧道を南へ抜け、つづら折りを下った所に見えてくるのが、天城山に源を発し伊豆半島を南流する河津川だ。ここもまたアユやアマゴが釣れ、伊豆半島では狩野川と人気を二分する実績場である。
河津川は流程が10kmにも満たない河川であり、景勝地である河津七滝がある上流部は川幅が狭いが、少し下るとすぐに開けた流れになる。しかしながら大淵あり、岩盤ありと川相は変化に富んでおり、なかなか攻め甲斐のある川である。
「昨日は上流部、源流部を攻めて小型ながら綺麗なアマゴを釣ることができました。同じような場所を攻めてもつまらないので、今日は本流などの開けた場所を攻めてみたいと思います」
こう話すのは、前日に仁科川でよい釣りをして上機嫌の井上聡さんである。取材日は解禁から間もない3月下旬。「シーズン初期は魚の活性が高い沢」というセオリー通り、上流部を釣り歩いて、そこそこの釣果を得ることができた。しかし今日は魚の目覚めが遅い本流域である。
「シーズン初期の本流は、水温がキーポイントになります。少しでも水温が高い川で竿を出すことですね。諸々の条件を考慮した結果、温暖な伊豆半島にあって、さらに南に面している河津川を選びました。うまいこと魚が出てくれるといいんですけどね」
日釣券を買い、まず入ったのは小鍋橋上流。小鍋淵と呼ばれる好ポイントである。山のいたるところに桜が咲いている。山里の春。実に気持ちのよい風景である。川幅は10〜15mといったところ。本流とまではいかないが、小継の渓流竿では攻めきれない規模である。
「このくらい開けた流れでは、竿はある程度長いものが必要です。仕掛けを流せる範囲が長く“線の釣り”が中心になるので、ピンピンに張った先調子より、やや胴に乗る調子が使いやすいですね」
流域に比べて頭上に張り出す木が少なく、7mクラスの竿に手尻を出しても楽に振れそうである。藪漕ぎしたり、急斜面を下らなくても入川できる箇所が多いので、竿は携帯性や機動力より、ポイントを攻めきれるだけの長さや調子を優先したいところだ。本流竿となると大袈裟だが、細身の中継竿がピッタリのシチュエーションである。
井上さんが手にしているのは『テクニカルゲーム蜻蛉ZL ピュアドリフト65-70』。細糸にも対応する軟調竿だ。
「水量があって重めのオモリを使うようなときは、穂先のしっかりした『原点流NL』や『中継渓峰ZL硬調』あたりが使いやすいと思います。シーズン初期ということもあって、まだ魚の活性が低いことが考えられるので、今日はちょっと繊細に攻めてみようと思います」
流芯脇にできた流れの壁に仕掛けを入れ、ゆったりと回る反転流になじませた。そして二投目、早くもクッと目印が押さえ込まれたのである。
軟調のピュアドリフトをたわわに曲げ、足下へ寄せてきたのは冬から目覚めて間もないフレッシュなアマゴ。20cmにやや欠けるサイズだが、春のうららかな陽光を浴びた魚体が美しい。
「教科書どおりのポイントで喰いましたね。魚が動いていれば、同じポイントで何尾か釣れるんですけどね」
井上さんは投入点を少しずつ変えながら、瀬の開きを丹念に流す。2尾目はさほど間を空けずに喰ってきた。流れの当たる深みには魚が入っているようだ。
やがてアタリが不明瞭になってきた。同じポイントを繰り返し狙ったときによく起こる現象である。しかし井上さんはポツポツとアマゴを喰わせるのである。
「目印が押さえ込まれなくても、モワッというか、モソッというか、仕掛けを流しているときとは違った動きが出るんですよ。本流域でよくあるアタリです。このアタリを取らないと、なかなか大物が釣れないんですよね(笑)」
傍で見ている目では「今のがアタリですか?」と言いたくなる微妙な変化だ。そして気がつくと竿が曲がっているのである。井上さんの技術に感心することしきりであったが、流れに仕掛けをなじませやすく、魚がエサを放しにくいピュアドリフトのしなやかな調子が、この日の状況にマッチしていたともいえるだろう。
アタリが遠くなったところで上流へポイントを移した。めぼしいポイントへ次々に仕掛けを打ち込んでいく井上さんであるが、時間が経つにつれて首を傾げる仕草が多くなった。
「ポツポツと喰ってくるのでアマゴの活性は低くないと思うんです。ただ、いい筋にエサが入っても小型が多いんですよね。昨日の仁科川に比べたら、河津川のほうが水温が高いようなのですが、まだ大きいのは動いてないのかなぁ」
その後、いったん下流へ車を走らせて峰大橋の上流を釣り上がってみるも状況は変わらず。昼食を取った後は小鍋橋の下流を釣り下り、何尾かアマゴを釣り上げたものの、サイズは小型が中心であった。川端康成が「伊豆の踊子」を執筆したという老舗旅館・福田家下まで釣り歩いたところで竿を納めた。
「成魚放流の個体もいて、天然魚は小型が中心。もう少ししたら大型が釣れるようになるんじゃないかな。ひと雨降って水が出ると魚が動きますから、この後がチャンスですね。新緑の季節を迎える頃が本番だと思います」
2日間にわたって春の渓を攻め、小型ながら綺麗な天然アマゴに遊んでもらった。大型との勝負は、今後の楽しみとして取っておこう。