6月中旬。
山形県南部・置賜地方に、遅く、そして短い夏が訪れた。しかし一帯は朝日山地、飯豊山地といった2000m級の山々を背後に控えた豪雪エリアである。平地の早い地域ではアユの解禁を迎えている頃ではあるが、この地域の渓流は長い冬から目覚め、ようやく魚たちが活発にエサを追い始めるシーズンが訪れたばかりだ。
「雪代が収まって水温が上がり、ハッチも出始めているのでテンカラにはちょうどよい季節だと思います。2023年から24年にかけては雪が少なく水量はやや少なめですが、綺麗なイワナやヤマメが釣れると思いますよ」
フィールドを案内してくれるのは、埼玉県日高市在住の大沢健治さん。大手釣具販売店勤務を経て、現在は東日本の渓流・源流を中心に釣行を繰り返すかたわら、独創性豊かな毛バリを世に送り出す熟練の職人としても知られる人である。普段は関東近郊の河川で竿を出すことが多いが、新潟北部から山形県内の河川にも年に数回は足を運ぶとのことだ。
今回は2日間の日程にて、和式毛バリ釣法・テンカラで初夏の渓流を満喫する旅である。釣行初日は山形県・荒川上流の支流に入り、置賜の雪解け水に育まれた美形イワナを狙う。
荒川は新潟県と山形県にまたがる朝日山地に源を発し、大小の支流から水を集めながら日本海に注ぐ名川。上流部ではイワナ、中流部ではヤマメ、そして下流部ではサクラマスやサケを狙うことができ、渓流ファンにおいては天国ともいえるフィールドである。
初夏といえども早朝はカッパを羽織っていても肌寒い。朝もやの中、荒川の上流へ向けて車を走らせた。
まずエントリーしたのは、新潟と山形の県境近くで荒川本流に出合う玉川。荒川本流は朝日山地が源流であるのに対し、玉川は飯豊山地を源とする。遠望する飯豊山の山頂部は雪をたたえており、雪解け水を集めた玉川の水は初夏でも身を切るように冷たい。ここで釣れるのは、ほぼ100%イワナとのことだ。
大沢さんが手にした竿は『天平テンカラ』の3.6m。
「テンカラ竿の王道ともいえる6:4調子はキャストのタイミングがつかみやすく、どの体勢からもコントロールよく毛バリを打ち込めるところが気に入っています。基本的に一般的な渓流域を意識した定番的なアイテムですが、仕舞寸法が48.7cmと短く、リュックへの収まりがよいので、僕は源流釣行にもよく持って行きますね。1本あると便利ですよ」
ライン(道糸)はフロロカーボンのレベルライン3号×4m。これにリーダー(ハリス)としてフロロカーボン0.8号を1mほど結ぶ。竿が3.6mなので、1.4mほど手尻が出る格好になる。テンカラにおいては、ごくオーソドックスなセッティングである。
入渓点からしばらくは開けた渓流域が続く。しばらく釣り上がると頭上に木の枝が張り出した落差のある渓相へと変化した。
「障害物の多い場所では無理な体勢から振り込むこともあります。こんなときに天平テンカラの振りやすさを実感しますね。オーバースロー、サイドスロー、どの角度で竿を振ってもリリースポイントがつかみやすく、ミスキャストが実に少ないんです」
特に小さなポイントでは一度のミスキャストで魚を警戒させてしまうケースがある。狙いのポイントへ正確に毛バリを落とせるコントロール性は、それだけで大きなアドバンテージとなるのだ。 コンパクトなバックスイングから竿を振り下ろすと、S字を描いたレベルラインが生きているかのようにスルリと伸びる。実に美しいキャスティングである。しかし、肝心の魚の反応が悪い。
「遡行していくと普通はサーッと岩陰からイワナが見えるのですが、今日はまったく見えませんね。直近に釣り人が入ったのかなぁ……」
沈むタイプの毛バリを使ってどうにかイワナを喰わせたものの、狙いのサイズにはほど遠い。午前中いっぱい攻めたところで、別の支流へ移動することにした。
昼食を取り、午後から入ったのは横川。こちらも玉川に劣らぬ美渓である。ここでは竿を取り回しのよい3.3mへ持ち替え、テンポよく釣り上がっていった。
「先ほどの玉川もそうでしたが、水量が少ないせいか平瀬など浅いポイントはイワナの反応が悪いようです。瀬でもちょっと底が掘れ込んだ水深のある所、こんな場所を重点的に狙っていきます」
活性の低いイワナを底付近で喰わせることイメージして、毛バリはタングステンのビーズヘッドを仕込んだ沈むタイプをセット。流れ込み直下、流れの当たる岩壁、岩盤のエグレといったイワナが好みそうなポイントへしつこく毛バリを流し込んでいくが、気配は薄い。
2つの流れが合流する地点から片方の沢筋に入っても状況は変わらない。やはり先行者がいたのだろうか。狭い渓流域である。誰かに攻められた後では分が悪い。
「二叉まで戻って、もうひとつの支流を攻めてみましょうか」
ここでようやく鉱脈を引き当てた。
先の沢とは明らかに生命感が違う。これまでの苦労が嘘のように、あっさりとイワナが喰ってきた。
「はじめからこっちで竿を出せばよかったですね(笑)」
褐色の魚体に浮き出たオレンジと白の紋様が美しい。どことなく幼く見えるも、精悍な顔つきはやはりイワナである。その口先にはこだわりの毛バリがガッチリとフッキングしていた。
気がつけば陽が傾き、夕マヅメのゴールデンタイムが訪れようとしていた。まばらながらもハッチも見受けられる。初夏の日差しに照らされ、やや水温も上がったように思われる。
「ライズは確認できませんが、そろそろ魚の意識が表層に向いてきているかもしれませんね。ちょっと勝負してみましょうか(笑)」
毛バリを水面に浮かぶドライタイプにチェンジ。そして間もなくのことだった。
短い風切り音を立てて天平テンカラが弧を描く。その豊かな曲がりは、先より明らかに違うサイズの魚が喰ったことを物語っていた。
ラインを手に取り、長い手尻を引き寄せる。最後の抵抗となる大きな飛沫を上げて玉網に滑り込んだのは、尺には少し欠けるものの丸々と太ったイワナであった。
「狙いが的中しましたね。ドライタイプの毛バリは勝負が早く、魚を探すのにはもってこい。活性の高い魚がいればすぐに喰ってきますからね」
その後すぐに同サイズを追加。その後、イワナの反応が途絶えたところで初日の釣りは終了とした。わずか30分足らずの時合であった。
「なんとかグッドサイズのイワナが釣れてよかった。明日は里へ下ってヤマメを狙いましょう」
(次回へ続く)