木漏れ日の斜面を下りると、そこには木々の翠に縁取られた美しい渓が広がっていた。風にはほんのり夏の香りが漂うというのに、流れに手を浸すと身を切られるように冷たい。ここは群馬県の片品川。季節はすでに初夏であったが、尾瀬にほど近い上流部は、ようやく春が訪れたという雰囲気であった。
今回は、2023年にデビューする『翠弧』の最終プロトを携え、2日間の予定で群馬の渓流を巡る旅である。釣り人は地元の井上聡さん。近年は渓流釣りも多様化の時代を迎え、源流のイワナから本流のサクラマス、果てはサケまでノベ竿で狙えるようになった。とはいえ、やはり渓流釣りの原点は小継竿の釣りだ。美しい景色の中で、可憐な渓魚との出逢いを楽しむ。大物を何尾も仕留めてきた井上さんにとっても、小継竿の釣りは格別なのである。
「群馬県下の渓流も、ここにきて冬の眠りから覚めてどこでも釣れるようになりました。初日は上流部でイワナを狙ってみましょう」
川沿いに林道を進み、尾瀬への入山口として知られる大清水休憩所の有料駐車場に車を止める。車の通行が可能なのはここまで。徒歩で来た道を20分ほど下ったあたりから入渓した。林道沿いの森林は私有地であるため、駐車は厳禁である。
川相は開けた渓流相で、6m前後の竿がちょうどよい規模。この一帯は夏でも水温が低く、釣れるのはほぼ100%イワナとのことだ。
片品川上流部のイワナ釣りで井上さんがセレクトした竿は翠弧H61。標準穂先、パワー穂先と2本の穂先のうち、まずは標準穂先をセットした。
「標準穂先は、パワー穂先に比べて先端部が非常にしなやかなんです。先が軟らかいぶん、標準穂先をセットすると先調子気味になるので、僕は手尻を竿丈トントンかやや短めにして、点を打つ釣りで多用しています」
ナイロン0.8号の天上糸を2m取った先にフロロカーボン0.25号の水中糸を結ぶ。ハリは渓流バリ8号。エサはミミズをメインに使用する。
大小のポイントへコントロールよくエサを打ち込みながら釣り上がる。頭上に木の枝が張り出し、油断すると仕掛けを引っ掛けてしまうような場所でも、手首を返すだけのコンパクトな振り込みで綺麗に仕掛けが飛んでいく。
「とにかく新しい翠弧は穂先が軽いんです。本来、先が軽い竿は胴がブレがちなのですが、翠弧はスパイラルXコアで全体が強化されているので、ブレの収束が実に早い。おのずと振り込みのコントロールもよくなりますよね」
竿出しから間もなく、この日最初のアタリがきた。ゆったりとしたやり取りで取り込んだのは25cmクラスのイワナ。まずは本命の顔を見ることができた。さらなる大物を求め、上流を目指した。
その後もコンスタントにアタリがある。朝の駐車場でひと組の釣り人に出会ったので、おそらくこの一帯は普段から攻められているはず。にもかかわらず、やや入りづらい箇所から入渓したのが幸いしたのか、それともたまたま前日に釣り人が入らなかったのか、イワナの活性は上々である。
井上さんも完成間近の翠弧の調子を確認しつつ、イワナの引きを存分に味わっている様子だ。
「標準穂先をセットすると先調子気味になると言いましたが、魚を掛けるとグッと胴に曲がりが入ってくる。この絶妙なアクションが本調子と呼ばれるものなんです。良型に走られても竿全体が曲がってグッと踏ん張ってくれるんです」
フロロカーボン0.25号といえば、イワナ狙いでは決して太くはない。自信を持って細仕掛けで良型に挑めるのも、豊かな曲がりで守りつつ攻められる本調子のおかげだろう。
2時間ほど釣り上がったところで、いかにも大型のイワナが潜んでいそうな淵に出た。流れが当たる対岸の岩盤沿いに仕掛けを流したところで、翠弧が渾身の弧を描いた。
大物である。
水深があるため、無闇に立ち込むわけにはいかない。井上さんはグッと腰を落として竿を起こし、魚を怒らせないよう浮かせる。
引かれたら粘る。そこから引かれたらなおも粘る。真綿で締めるかのようなやり取り、これぞ本調子の真骨頂である。井上さんが差し出す玉網の中で大きな飛沫が舞う。勝負あった。
楽に尺を超える堂々たる魚体。これを釣りたくてこの渓を訪れたのである。旅の第一ミッションをクリアした井上さんの顔にも安堵の笑みが浮かぶ。
「いいイワナが出たのでホッとしました。午後からは下流へ移動してヤマメを狙いましょう」