新潟県と群馬県を隔てる三国山脈のひとつ、大水上山に源を発し、関東の一都五県を潤して太平洋に注ぐ利根川。「板東太郎」の異名を取り、かつては暴れ川として知られた大河である。群馬県のみなかみ地区から沼田地区にかけては利根川でも最上流部にあたるが、それでも大本流とよぶに相応しい堂々たる川相を呈している。
「僕が学生の頃までは夏になると水が温んで、胸まで立ち込んでアユ釣りを楽しんだものです。しかし上流に山からの冷たい水を溜め込むダムができてからは、水量が安定した一方で水温が落ち、上流部はヤマメがメインのフィールドになりましたね」
こう話すのは、地元群馬在住の井上聡さん。源流部から本流まで釣り歩き、利根川を知り尽くしたエキスパートである。今回は利根川の本流で大ヤマメを狙う。今期の利根川本流は好調で、開幕直後の6月は各地で良型が釣れていたとのこと。まずは尺上、願わくば40センチ。期待が高まる。
早朝、まずは井上さんが大本命ポイントと目する月夜野エリアに向かった。学習を積んだ賢い大型ヤマメが相手である。好時合である朝に、最も望みのある場所を攻めようという目論見だ。身支度を整え、まだ薄暗い河原へ下り立つと、井上さんが「あっ」と小さく声を上げた。
晴天にもかかわらず増水である。平水より40㎝以上高いだろうか。それも緑がかった濁りも入っている。
「おそらく夜半に上流で雨が降ったのでしょう。昨日の夕方にポイントを見て回ったときは水が低く、濁りもなかったんですよ。これなら今日はよい釣りができるなぁと思っていたのですが……」
この日は8月上旬。好調だった6月から約2カ月も釣行が遅れたのには理由があった。今年は梅雨明けの発表が異常に早かった。しかし7月に入ってから再び長雨に見舞われ、のちに当初の梅雨明けが撤回、訂正される事態になった。釣行の予定も延期を繰り返し、ようやく水位が落ち着いたのがこのタイミングだったという次第である。
8月といえば、平野部の本流は水温が上がってヤマメの喰いが落ちてしまう時期である。その点において利根川の上流部は、標高が高く水温の上昇が遅いのは幸運であった。しかし、初夏から頻繁に発生していた局地的な豪雨が、上流で降るとはまったくの計算外であった。
ともあれ、まずは竿を出してみないと様子がわからない。井上さんはさっそくタックルの準備に取りかかった。
井上さんがセレクトした竿は『スーパーゲーム ファインスペックMH90-95ZD』。尺上クラスを中心に、40㎝オーバーにも力負けしない本流ヤマメ竿である。
「この竿の強みは、90-95、95-100と長尺のアイテムがラインナップされている点です。利根川は水量が豊富なうえに川幅があります。立ち込めない場所で遠くの筋を攻めるには、この長さが必要なんですよ」
予想どおりヤマメの活性は低かった。このポイントは早々に見切って支流の片品川へ移動したが、ここも濁りはないものの増水。再び利根川に戻って各ポイントを転戦するも、アタリらしいアタリがないまま昼を迎えてしまった。
午後からは思い切って下流の沼田地区へ移動した。ここは綾戸ダムの下流にあたるため、いくぶん水位が低いのではという淡い期待があった。しかし川に下り立ってみると相変わらずの高水である。藪を掻き分け、急斜面を下り、数カ所ポイントを探ってみたが、ここでもヤマメのアタリは皆無であった。
大型に備えて張ったフロロカーボン0.8号の通し仕掛けを06号に、ハリも太軸の本流バリ8号から細軸のヤマメバリ8号に変えた。これでも反応はなし。工夫次第でヤマメが口を使うのならともかく、エサに触りもしない状況では攻めようがない。
しかし、沼田地区を諦め、川沿いに上流へ車を走らせているときにわずかな変化に気がついた。
「ちょっと水位が下がってきたようですね。朝イチに攻めたポイントをもう一度見てみましょうか」
月夜野地区に着くと、すでに西の空がオレンジ色に染まり始めていた。夕方のワンチャンス狙いである。
川を見てみると、明らかに朝より水位が落ちている。早朝は水の中だった中州が姿を現し、濁流が渦を巻いていた消波ブロックも頭を出している。朝は立ち込むことさえできなかった箇所も渡渉できるまでになった。これなら対岸に渡り、狙いのスジをくまなく探ることができる。
反応はすぐに出た。
『スーパーゲーム ファインスペック』が夕方の空気を切り裂く。竿の曲がりからして手を焼くほどのサイズではない。しかし、おそらくこの日、最初にして最後の魚である。井上さんは河原を下りながら慎重に魚を取り込む。
目測で9寸前後。わずかに尺には届かないものの決して小さくはない。むしろ12時間にわたって奔走した末の釣果であることを思えば、値千金ともいえる1尾である。
しかし井上さんの表情を見ると、悪条件下で喰ってくれたヤマメに感謝しつつも、まだまだ満足にはほど遠い様子である。
「明日はもっと大きいのを釣りたいですね」
翌日に奇跡が待ち受けていることを、この時点ではまったく想像できなかった。
※後編へ続く