長野と岐阜の県境に位置する木曽御嶽山。その裾野に広がる標高1000~1500mの高原が開田高原である。北は飛騨山脈、南には木曽山脈がそびえる。四方から集まった水は流れとなり、そこには美しいイワナやアマゴたちが息づく。
講習会で開田高原を訪れていたテンカラの第一人者、石垣尚男さんと合流したのは、5月下旬のことだった。遅い高原の春は駆け足で過ぎ去り、色とりどりの花が咲き誇る周辺には初夏の匂いが立ち込めていた。今回の釣りは、ワンランク上のテンカラ釣りを目指す釣り人に向けた、ステップアップ編の撮影である。
「時期的に釣果はイワナが中心になると思います。講習会では参加者全員が魚を釣ってくれました。どうにか私も釣りたいですねぇ(笑)」
宿で美味しい料理をいただきながら作戦会議。天候や時間帯、直近の釣果、前日の入渓者の有無といった諸条件を考慮して石垣さんが選んだ川は、西野川と冷川(つめたがわ)だ。
「イワナを狙うのであれば冷川が本命なのですが、その名のとおり水温が低く、朝は日が当たらないので午前中はちょっと厳しいと思うんですよ。冷川は真夏でも午前中は魚の動きが悪いんです。なので朝イチは開けた西野川で竿を出し、お昼を食べたら冷川へ移動しましょうか」
明けて翌朝。宿の玄関を出て頭上を見上げると、気持ちのよい青空が広がっていた。手際よく準備を整えた石垣さんがまず向かったのは西野川。宿から車で5分ほど走った所である。開けた川相は渓流というよりも、里川といった雰囲気だ。
「西野川は飛騨山脈の南端から続く山地に源を発していて、水温が比較的高いんです。ごらんのように開けていて陽の当たりもよい。水が冷たい早朝は、このような川がいいんですよ」
石垣さんが手にした竿は『渓流テンカラZL』。川幅は10mあるかないか。3.4~3.8mのズームロッドがピッタリの規模である。
「このところはストレートラインを多用しているのですが、今日は風があるので重めのレベルラインを使います」
レベルラインとはフロロカーボンの単糸のこと。このレベルラインを竿丈と同じ3.8mほど取り、その先にハリスとしてフロロカーボン0.8号を約70cm結ぶ。毛バリは石垣さんが『バーコードステルス』と呼ぶ水面直下に漂うタイプである。
釣りを始めて間もなくアタリがあった。しかし、これは掛け損ね。
「いやぁ油断していましたね(苦笑)。日頃から釣り人が多い川なので、まさかこんなに素直に出るとは思いませんでした」
気を取り直して釣りを再開。ややあって大石の脇で水面が弾けた。慎重に取り込んだのは20cm少々のアマゴだった。
「色が白いので成魚放流の魚ですね。できれば天然の綺麗なやつを釣りたいので すが……」
しかしこの後はアタリが途絶えてしまった。砂利底が目立つなかで、大きめの底石周りを丁寧に攻めたが反応はなし。500mほど釣り上がったところで午前の釣りは終了とした。
のんびり昼食を取った後は、いよいよ冷川へ出陣である。冷川は西野川と同じ木曽川水系だが、木曽御嶽山から直流の川であり、水温が非常に低いのが特徴。水に手を漬けてみると確かに冷たい。
「イワナの魚影は濃いのですが、夏場でもこの冷たさなので午後からでないと釣りにならないんです。いくら魚が多い川でも、時間帯によってはまったく釣れないということもあります。釣ってくる人は、このあたりの立ち回り方がうまいんでしょうね」
川相は西野川とは一変して大岩が転がり、落差もそこそこある渓流相。切り立ったガケが迫り、岩盤が露出した所もいたる所にある。ここでは点と線を絡めたテクニカルな釣りを見られるだろう。
「とりあえず西野川との出合いまで下ってみましょう。出合いから西野川に入り、少し上った所に滝があるんです。ここをやってみたいんですよ」
そこには幻想的な風景が広がっていた。滝から上流は完全な“通らず”。下流から差してきた魚はみんなここで止まるだろう。ここで石垣さんがハリスに結んだのは、タングステンのビーズヘッドを仕込んだ沈む毛バリ。
「滝壺は水深があるので、表層には出なくても底層で喰ってくる個体もいるんです。これを沈む毛バリで喰わせるわけです」
浅い場所で表層を攻めるときは毛バリを打ってから3秒ほどで上げてしまうが、ビーズヘッドの釣りでは流れ込み脇の反転流などを線で流すとのこと。しかし、広範囲をしつこく攻めてみたものの、この滝壺では一度もアタリはない。気を取り直して出合いまで戻り、今度は毛バリをバーコードステルスに結び変えて冷川に入った。
いきなりだった。
出合いのすぐ上流にあるタタミ三畳ほどの流れ込み。毛バリを打つやいなや水面が弾けた。狭い棚の中で盛大に暴れ回ったのは本命のイワナ。20cm前後であるが狙いどおりに喰わせた1尾は格別である。
「ようやく出てくれましたね。とりあえずボウズを回避できてよかった(笑)」
その後はいたって快調。流れの落ち込み、石の下の凹み、岩盤のエグレ等々、イワナが潜んでいそうな場所ではなんらかの反応がある。大きな流れ込みでは、少しずつ毛バリを流すコースを変えているうちにガツンときた。「ひと流し3秒×3投」という石垣さんの点打ちセオリーである。
西野川はさっぱりなのに、冷川では一発で喰ってきた。しかも連発である。すぐそこで合流しているにもかかわらず、川が変わるだけで魚の活性がこれだけ変わる。実におもしろい体験だった。
タックルの選び方や釣り方が重要であることは確かだが、どの川に入るか、どの時間帯に入るかといった立ち回り方も大きく釣果に関わってくる。次回からは、そんなワンランク上のテンカラ釣りを石垣さんに解説していただこう。