褐色の魚体に浮かぶ無数の白紋。獰猛な一方で釣り人の影にも怯えるナイーブな一面もある。我が国における渓魚の代表格であるイワナは、ヤマメやアマゴとはまた違った魅力がある。

冷水を好むイワナは、主に上流域に棲息する。人里から離れ、目前に山がそびえる源流域での釣りは、大自然の中で竿を振る喜びを味わえる。滝やゴルジュが行く手を阻む場所では登山レベルの遡行技術を要し、解禁直後の雪中釣行では危険を伴うこともあるが、美しい景色と釣りをセットで楽しむ釣趣は、まさにイワナ釣りの特権といえるものだろう。

解禁からしばらく経った3月下旬、山梨県に井上聡さんの姿があった。今回は早春のイワナを釣る旅である。甲府盆地を潤す釜無川には、四方から無数の流れが集まる。支流の上流部はイワナの宝庫だ。

「イワナ釣りというと、急峻な崖を上り下りしたり、テントで何泊もしながら上流を目指すというイメージがあるかと思います。もちろん厳しい遡行を強いられる川もあり、それがイワナ釣りの楽しみのひとつでもあるのですが、そこまでしなくてもイワナと出会える場所はたくさんあります。今回はポイントのすぐ近くまで林道が通っていて、ザイルワークなど特殊な技術がなくても楽しめるイワナ釣りをお見せできればと考えています」

綿密な事前リサーチを経て井上さんが選び出した川が、南アルプスの北端に源を発する小武川である。

「第一候補は尾白川だったんです。有名な白州蒸留所でも使われるほど水が綺麗な川で、できればここで竿を出したかったのですが、林道に入れるのが4月からということで断念しました」

しかし、小武川の水質も決して尾白川に引けを取らない。南アルプスの山々から集まった水は、幾重にも重なった岩に磨かれる。ここで釣れるイワナは、流れを映したかのように美しい。

源流としては比較的開けた川相で、川に沿って林道が通っているため入渓もしやすい。所々に堰堤があり、イワナ釣りのイロハを学ぶにはこの上ない環境である。尾白川は多少の遡行技術を要するが、小武川はいくつか高巻きポイントがあるだけで、源流ビギナーにも優しい川だといえる。

御座石鉱泉方面と甘利山方面の分岐付近に車を止め、15分ほど歩いた所にある堰堤の上流から釣り上がることにした。

上流~源流域の主役であるイワナ。獰猛な一方で臆病な一面もある。我が国の代表的な渓魚のひとつだ。

南アルプスに源を発する小武川。花崗岩質の白い岩に磨かれた水は美しく、釣れるイワナも美形揃いだ。

仕掛けをセットする時間は集中力を高める時間でもある。はたして目論見どおりにイワナは釣れてくれるのか…。

「単純にイワナ釣りといっても、春先と夏ではポイントも釣り方も変わってきます。今は早春でイワナの動きも悪く、瀬ではなかなか喰いません。岩陰や反転流といった流れの緩いポイントを重点的に攻めていきます」

この日の井上さんのタックルは、『天平ZA』の硬調53。5.3m、4.9m、4.5mと三段階に長さを変えられるズームロッドである。比較的開けた川相であることと、木の枝など障害物の状況によって頻繁に仕掛けの長さを変えることから、スタンダードなズーム仕様の小継竿を選択した。

仕掛けはフロロカーボン0.8号に0.4号を編み付けた移動式天上糸に、0.2~0.3号の水中糸を併せたもの。ハリは渓流バリの6号からスタートした。エサはオニチョロとキンパク、ミミズ、ブドウムシをローテーションする。

盛期のポイントである瀬を捨て、流れ込みの両サイドに生じる反転流や石の陰、岩のエグレなどをテンポよく探っていく。竿出しから間もなく、17~18cmのイワナが喰ってきた。

「やっぱり流心から外した緩流帯ですね。教科書通りのポイントで喰ってきました」

3時間ほどの釣りで20cmクラスを頭に7尾。数がまとまったところで午前の釣りを終了した。

「2kmほど釣り上がってこれだけ釣れれば上出来でしょう。午後からは川を変えてみましょうか」

竿出しから間もなく1尾目が釣れた。可愛いサイズではあるがファーストヒットは嬉しいものだ。

流れ込みの脇にできる反転流や緩流帯を重点的に攻めるのが、早春におけるイワナ釣りのセオリーだ。

岩の凹みに沿って仕掛けを流すとガツンときた。まだ水温が低い時期のイワナはテリトリーからあまり離れない。

20cm強のイワナ。源流域では良型といえるサイズだ。この後、塩川の分流である本谷川へ移動した。

軽く昼食を取った後は、小武川と同じく釜無川の支流である塩川を遡る。塩川ダムで分かれた本谷川が午後からの釣り場である。

「ここはアマゴとイワナが混生するエリアです。今いる増富ラジウム温泉郷あたりの渓相を見ると、アマゴのほうが多そうですね」

花崗岩質の白っぽい岩が多い小武川に対し、本谷川は黒みがかった褐色の岩が中心。釣れるイワナの体色も黒っぽいという。川沿いの道から流れを見ると、いくつもの魚影を確認できた。どうやらこれはアマゴのようだが、魚は非常に濃そうだ。

渓に降りて仕掛けをセットする。オープンな小武川とは対称的に、本谷川は両岸から木の枝が張り出しており、まともに竿を立てるスペースもない。このような攻めにくい場所だからこそ、魚が残っているのだろうと想像できた。

井上さんは『天平ZA』のズーム機能と移動式天上糸を駆使して、狭いスペースで巧みに仕掛けを打ち込んでいく。先ほど魚が見えたポイントでは電光石火の早業で1尾目を喰わせた。玉網に収まったのは、やはりアマゴであった。

「竿抜けが随所にありそうですね。しばらく釣り上がってアマゴしか釣れないようであれば、もう少し上流へ移動しましょうか」

300mほど釣り上がってみたが、目印を揺らすのはアマゴばかり。このポイントは早々に見切りを付け、温泉街のさらに上流へ車を走らせた。

大岩がゴロゴロと転がる川相は、いかにもイワナが潜んでいそうな雰囲気だ。井上さんは強い流れを外し、その脇にある緩流帯を集中的に攻める。

大きな流れ込みでは反転流も大きく、複雑なヨレを形成する。オモリも流れになじませるというよりは、穂先でオモリを吊ってエサを落ち着けるといった使い方だ。しつこく、じっくりとエサを見せていたところにガツンときた。

釣れ上がったのは、控え目なサイズながら本命のイワナである。岩の色に溶け込むような黒褐色の魚体であった。

「早春のイワナは、やはり緩流帯を重点的に狙うのがいいですね。今日は春らしいイワナ釣りをお見せできたんじゃないかな(笑)」

この1尾で納得した井上さんは、夕方を待たずに竿を納めた。冬から目覚めたばかりの甲州の渓。フレッシュなイワナたちが我々を迎えてくれた旅であった。

本谷川の増富ラジウム温泉郷付近は渓の両岸から木の枝が張り出している。攻めにくい場所には魚が残っている可能性が高い。

本谷川で我々を出迎えてくれたのはアマゴであった。攻め方とポイントを合わせればもっと数が出ただろう。

釣り人の姿が魚に見えやすい緩流帯では、下流側から静かにアプローチしたい。姿勢を低くして離れた位置から仕掛けを振り込む。

本谷川のイワナは黒っぽいのが特徴。小武川の魚とは対称的な色だ。