寒極まるサクラマスジギングで、ずっと温めてきたセミロング。

SIXRIDE
  • JIGGING
INSTRUCTOR

山本 啓人Hiroto Yamamoto

「やっとできた」という余韻に浸る時間もないほどに、26年のサクラマスシーズンが幕を開けようとしている。足掛け2年、ジグ漬けの日々。

24年2月青森。
シックスサイドとセンターサーディンという2枚看板。

2026年、リアヘビーのセミロングジグ「シックスライドサクラスペシャル」をリリース。
インストラクター山本啓人とのものづくりの日々を、この開発ストーリーで語り尽くしたいと思う。

時は2024年に遡る。満を持してリリースしたシックスサイド。さらにはシマノジグのど真ん中を飾るセンターサーディン。それだけあればサクラマスは乗り切れると思っていた自分が恥ずかしい程に、セミロングの強さを思い知ったのが2024年シーズンだった。

大型ベイトと、セミロングジグ

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シックスライドを作ることになったきっかけは、2024年2月の青森サクラマスジギングだった。

実はというと、この時の実釣は「さらなるリアヘビージグ」のテストを目的に行っていた。
「海峡の潮で一番効くやつを作ってやろう!」と山本さんと躍起になっていたのだ。

ただお試しで、ちょこっとジグボックスに忍ばせて置いたリアヘビーのセミロングジグが、のちのシックスライドの原型となった。

その時のベイトサイズは15cmクラス。シックスサイドはもちろん、センターサーディンのメインウェイトとなる160gですら全長は13cmと、大型ベイトには少し小さい。

大前提にある「目に見えるサイズ感」という障壁を越えられなかった気がしたのだ。
(マッチザサイズ、などといえば幾分かっこいいだろうか…)

シンキングタイム7秒。
今までで一番早い下北~青森の車中。

気づいたら、セミロングのことが頭から離れない。

レンタカーのエンジンをつける。
ワイパーが数往復して雪を掻いた。言い出すタイミングを図っていたのかもしれない。

「…ちょっとセミロング、やってみていいです?」

「今、おんなじこと思ってた」と山本さん。

・長さはどのくらい
・重さはどのくらい
・どんな動きが効くと思うか
・センターサーディン、シックスサイドとどう使い分けるか
・どんな性格のジグにするか

そんなことを議論していたら、あっという間に長い雪道は終わった。

プロトは速攻。しかし詰めは2年。

SIXRIDE

本社に帰り、速攻で試作に走る。

十分すぎるくらい「いまセミロングを作るなら」というコンセプトを話し合えたから、ファーストプロトは思ったよりもずっと早く、素直に形になってくれた。
今見返すと実釣可能レベルに達したのが2024年の3月16日。その翌週には恵山テストが控えていた。

ジグ開発そのものの詳しいことは追い追い語れたらと思うが、目指すべき後の「シックスライド」のコンセプトはこうだ。

① シックスサイドのリアヘビーの良さを引き継ぐセミロング
② シックスサイドが時折見せる浮遊感あるスライドを、意図的に演出できる
③ センターサーディンとシックスサイドの間を担うアクション

だからこそアウトラインは6面体のDNAを踏襲しつつ、サイズ感と重量を何パターンも仮置きしていく。
簡単に言うと、シックスサイドをまずは長くしてみる、というところが基準点で、そこから厚み、長さ、フラット面の広さ、アウトラインのバランスをイチからコンセプトに合わせて見直していく。

ただ、これが2年がかりになるなんて…
おそらく、1stプロトを作ったときの山本さんは考えてはいなかっただろう。
(もちろん、かくいう私も)

割と釣れる、では全くダメ。

SIXRIDE
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1stプロト群は早速、恵山(北海道)に連れていくことになる。その時はイワシにオオナゴも混じるベイトで、この「出来かけシックスライド」たちがしっかり活躍してくれたことを覚えている。

思いのほか釣れてくれるものだから、私は出来かけジグをまるで我が子のように愛でていた。

朝のピークが終わり、
それでも山本さんは、何か不満気だった。

「ふわふわできるのは良いけど、横を向きすぎてつまらない時間が多い」
「もっとシックスサイドがスライドするときのキレだったり、不規則さを簡単に出したい」
「割と釣れる、けどそれだと何でも良くなってしまう」

そう言うとおもむろに、ジグをヤスリで削り始めた。
「ブルピン」が、「ブル鉛ピン」になっていく。

「もうちょい。ほら、スライド入るようになった」

汚い言葉で恐縮だが、「マジかよ」と思った。
さっきより断然、魅力的な動きになっていた。
もっと言うと、それで最後に釣ってしまったのだ。

釣れたサクラマスの写真を見返すと、2024年3月21日の12時31分。
セミロング発足から約1か月での出来事だった。

それでも「何かが足りない」といった様子で、山本啓人は口を噤んだ。

(つづく)