「経験と時間」は積み重なる――
父から受け継いだ想いを、今、息子へ

仕事道具と相棒としてのSTELLAが重なる瞬間を、各界の第一線で活躍するアングラーたちの人生を通して描く「LIFE with STELLA」。今回姿を追ったのは、京都・祇園で和食料理店「ぎをん 遠藤」を営む遠藤功太さん。父の背中を通して知った仕事への覚悟と、遊びへの情熱。言葉で教えられたのではなく、時間をかけて自然と受け継がれてきたものがある。親から子へと渡されていくその心意気を、大人になった今、遠藤さんはあらためて噛み締めている。

  • name: 遠藤 功太
  • profession: 料理人
  • loving: 98 STELLA 2500

祇園を支える、担ぎの魚屋

京都を代表する花街、祇園。僕にとってこの街は、小さい頃から父の仕事場として馴染みのある場所だった。

父は市場で魚を仕入れ、目利きを見込んでくださる割烹や料理屋へ届ける「担ぎ」と呼ばれる魚の卸売業。いわば、海と料理屋をつなぐ仕事だ。僕が小さい頃は、ときどき朝早くから中央市場に連れて行ってもらい、父の隣で魚を見て回ったり、トラックの助手席に乗り、店の裏口から入って父が魚を届ける姿も何度も見てきた。

そんな祇園は、僕が修行をさせてもらった場所でもあり、今は自分の店を構える場所でもある。父と同じように、僕にとっても仕事場として馴染みのある街になった。

うちの店は、車が通れないような細い小路にある、カウンター8席だけの小さな割烹。根本にあるのは、魚のおいしさを生かした料理を、もっと気楽に楽しんでほしいという思いだ。

そういうと、生まれ持っての魚好きのように思われるかもしれないけれど、実はそうでもない。家では普通の家庭より頻繁に魚が並んでいて、その反動もあって、子どもの頃は魚なんて……という感じだった。

それでも料理人の道を選んだのは、初めて勤めた飲食店の魚料理に物足りなさを感じたからだった。外に出て初めて、自分が当たり前のように食べてきた魚が、実は特別なものだったと気付いたんだ。

だったら、家業の魚を生かせば、もっと手軽においしい魚を食べてもらえる店ができるかもしれない。そう思って割烹で修行を重ね、自分なりの店の形を模索。そして15年前にこの店を開いた。

道具は包丁だけではない

魚の仕入れは実家に任せている。届いた魚を見て、これはお造りで出そう、これは焼こう、これは天ぷらが良さそうだと、メニューを考えていく。ただし、ひねくったことはあまりしない。僕の料理の基本は、いかに料理をしないか。切って出すだけ。焼くだけ。揚げるだけ。実にシンプルだけれど、シンプルだからこそ素材の真髄が伝わる。

そのためには、特別にいい道具だけがあればいいわけではない。包丁、器、カウンター、椅子、店の空気。どれも欠けてはいけないけれど、道具だけでは料理は成立しない。大切なのは、それを上手に使える腕であり、自分の手に馴染んでいること。それが僕の道具への考え方だ。

初めての包丁は、父と一緒に錦市場の有次さんで買った出刃包丁と柳刃包丁。その2本は今も使い続けていて、研ぐたびに少しずつ細く、小さくなってきた。この20年以上の間には、落として欠けたり、傷がついたりもした。でも、その一つひとつは自分の手がつけてきた傷だ。

使いこなして、自分がつけた傷があるからこそ愛着が湧く。道具は少しずつ自分の手に馴染み、扱い方の癖も、重ねてきた時間も、経験もそのまま刻まれていく。そうしていつの間にか、ただの道具ではなく相棒になっていくのだと思う。

色褪せることのない、釣りに通った記憶

小さい頃に食べさせてもらった魚。触ってきたもの。長靴を履いて市場を歩いた寒い朝。魚屋の息子として、普通ではなかなかできない経験をたくさんさせてもらった。旬の魚はいつも身近にあり、知らないうちに魚の名前や季節も覚えていた。だけど父から魚屋を継げとも、料理人になれとも言われたことはない。何かを言葉で教え込まれたわけでもない。

それでも、仕事への向き合い方も、釣りやカメラの楽しさも、気付けば父の姿から自然と学んでいた。背中を見て教わるというのは、きっとこういうことなのだろう。

釣りを始めたのも、父に連れられて行ったことがきっかけだった。最初にブラックバスを釣ったのは桂川。学校が終わると急いで家に帰り、父と兄と一緒に琵琶湖へ向かうことも、いつの間にか日課のようになっていた。

実家のアルバムを開くと、僕たちが釣った魚の写真が残っている。父はライカM6で写真を撮っていて、そのカメラもこの間、僕に譲ってくれた。釣り道具もカメラも、父が楽しんでいたものを、気付けば自分も手にしている。

最初に買ってもらったロッドはシマノのスコーピオンで、リールはネクサーブ。そして、父に負けないくらい釣れるようになった中学生のあるとき、父は僕がずっと憧れていた98ステラを譲ってくれた。

当時の僕にとってステラは手のでない高級品。スピニングリールの最高峰を自分が使えるのかと思うと、嬉しくて、ドキドキして、少し背伸びをしたような気分になった。

その後、長い時間を一緒に過ごして傷だらけになったそのリールは、いったん現役を引退。今はもう釣り場で使うことはないけれど、お気に入りの革靴や趣味の道具を置いているシェルフに飾っている。

たまに手に取ると、あのときここで投げたなとか、あの魚を釣ったなとか、小さな記憶が戻ってくる。今は使う道具というより、幼少期の時間そのものが詰まった存在になっている感じだ。

かつて僕がそうであったように

20代の頃は、修行もあって料理一筋だった。祇園で独立して数年が経ち、少し余裕が出てきた頃、またやりたいと思って手を伸ばしたのがバス釣りだった。

昔ほど頻繁に行けてはいないが、たまにこうして琵琶湖にやってくる。僕の仕事は夕方から夜中までだから、小学校に通う長男とはすれ違いの生活。だから定休日には家族で出かけて写真を撮ったり、釣りを口実に親子の時間を作ったりしている。

最初は僕のタックルを借りて、見よう見まねで釣りをしていた息子も、魚が釣れた経験をきっかけに、意外とちゃんとハマってくれたようす。かつての僕のように琵琶湖へ行くことを楽しみにしている姿を見ていたら、自分の道具を持たせてあげたくなって、ついにこの前ブエナビスタ コンボを買ってあげた。

父に釣具を買ってもらい、道具の名前を覚えながら少しずつ釣りに夢中になっていった僕の子ども時代。今度は自分が息子に釣具を渡す側になっていると思うと、少し不思議な気持ちになる。

今の自分の年齢は、あのときの父の年齢と一緒。息子と釣りをしていると、自分の幼少期と父の立場が重なる瞬間がある。

釣れた日の帰り道は楽しかったし、釣れなかった日は悔しかった。そんな感情も含めて、父と過ごした瞬間は今も記憶に残っている。今度は僕が、バス釣りを通して息子とそういう時間を重ねていく番なのだと思う。

憧れの道具を「相棒」にするまで

釣りは、使うルアーや狙う場所、釣り方によってロッドやリールを使い分ける。スピニングが合う場面もあれば、ベイトの方が扱いやすい場面もある。包丁も同じで、魚種や部位、切り方によって手に取る一本が変わる。

それぞれに役割と使いやすさがあり、一本では賄いきれない。その点でも、釣り道具と包丁は似ている気がする。自分の店を始めるとき、先輩の包丁屋さんで購入した本焼きの包丁がある。けれど、実はまだ使えていない。服でいえば一張羅のようなもので、なんだか気軽に使う気持ちにはなれない。もちろん、使ってみれば使い心地はいいのだろう。だけど、どこかもったいない。

あらためて新しいSTELLAに触れると、似たような感情を抱いてしまう。中学生の僕にはわからなかったけれど、今の僕にとっては、憧れの方が強くて、まだ身に余るような存在に感じるのだ。

でも、道具は眺めているだけでは相棒にはならない。使って、迷って、少しずつ扱い方を覚えていくうちに、自分の手に馴染んでいく。そうやって積み重ねた時間が、その道具を特別なものにしてくれるのだと、今の僕ならわかる。

実際、父から譲り受けた98ステラは傷だらけだ。けれど、あの傷があるから自分のものになった。長い時間を一緒に過ごして、あのリールはようやく僕の相棒になっていったのだと思う。

相棒になるまでには時間がかかる。それは道具だけの話ではない。店も、料理も、自分自身の技術も同じ。日々の経験は少しずつ積み重なり、やがて自分の土台になっていくのだ。

LIFE with STELLA
「経験と時間」は積み重なる――父から受け継いだ想いを、今、息子へ
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