JOURNAL

幽明を繋ぐ、虹色の鱗
―写真家とモンスターリミテッドが掬う、サクラマスへの憧憬―

文・写真:柴 光則(写真家・文筆家)
Text & Photography by Mitsunori Shiba

ファインダー越しに憧れた虹色

父と交わす言葉と、水辺で過ごす時間は、いつも淡い色をした一つの記憶の中に溶け合っていた。幼い頃、富山県の庄川近く、海沿いの小さな街に住んでいた。1週間のうち1日だけ、決まって土曜日は朝から夕暮れまで、父とともに川へ釣りに出かけていた。小難しいことはさておいて、川を歩き、二、三匹を釣ってみることから僕の釣りはスタートしたが、父が大切なことを伝えようとしていたことに気づいたのは、随分と後になってからだった。

トラウティストとして独り立ちしてみると、どうやら父は釣りの技術に関してはそれほど優れていたわけではなかったと気づいた。それでも、キャスティングは美しかったし、夕暮れ時に水辺を優しく眺めている姿は、なかなかカッコよく見えたものだ。共に庄川のサクラマスを追いかけた最後の頃、父は既に病を患っており、川歩きすらおぼつかなくなっていた。やがて具合がだんだんと悪くなり、病室から出るのも難しくなった時、毎週のように僕は、父とよく行った神保町の古本街で小説を買っては、病床へと差し入れしていた。見舞いに行くたびに、「どうせ釣れなかったのだろう?」と父に聞かれて、僕は苦笑いをしていた。

僕は父に報告をしたかった、「釣れたよ、サクラマス」と。

でも本当に手渡したかったものは、そのひと言だけでは、掬いきれない。
霧が白く、静かに息を吐くように立ちのぼる朝焼けの水面。
夕暮れの川辺に、しんと降り積もっていく静寂。
サクラマスの鱗が虹色に輝く、震えるほどに鮮やかな一瞬。
懐かしい旋律を奏でるような故郷の流れは、いつだって、僕の帰るべき所を教えてくれる。

僕が見つめた、その光景を父に手渡したかった。

Photography by Mitsunori Shiba

手の中に潜む「怪物」

2013年6月。道東の河川を歩く、釣友の背中には自信が満ちていた。少し距離をとって彼の後を追う。初夏の川は目に痛い程に銀色だ。午後4時に差し掛かっても陰りを見せない太陽が緩やかに流れる川面に照りつけ、無数の光がキラキラと輝いている。彼は大学の後輩であったが、釣りにおいては僕をトラウトの世界に惹きこんだ先輩だった。

痩せ型だが肩がガッシリとした体つきの彼は愛用のライトアクション、7.6フィートを片手に流れを上っていく。右肩の力をフッと抜いた感じのクォーターキャストから、7センチのミノーが正確無比にアップストリームの宙に放たれる。テンポよく、乱れのないキャスティングを繰り返しながら、ニジマスをかけつづけた。

彼には、流れの中の魚が見えている。川の中を強く見るには、想像力がいる。感性というスキルがいる。それらを持っているアングラーは選ばれた一握りの人たちだけだろう、と僕は思っていた。

ただ、彼は釣りの技術を磨くことにも貪欲だった。ここがうまくいかない、ここが気に食わない。キャスティングやルアー操作の不満をよく並べていたが、そう言いながらも彼が自分の釣りにこだわりと愛着を持っていることは、横で見ていてよくわかった。

僕は、彼から多くを学んだ。彼は憧れだった。そして、彼の手の中にあったのがカーディフ・モンスターリミテッド。僕とモンスターリミテッドという「怪物」との、初めての出会いだった。

あれから長い年月が過ぎた。僕は故郷を離れてから以前にも増して、トラウトにのめり込み、北海道のイトウやニジマス、北陸の河川でのサクラマス釣りの経験を重ねた。だが、川を知るほどに、水の世界の深さの前で立ちすくむ自分にも気づいていた。どれだけのトラウトを掬っても、満たされない空虚感が漂う。永遠に分かり合えない存在と一番近いところで生きることが、きっと僕にとっての釣りなのだ。

モンスターリミテッドはかつて憧れた、父や友人との憧憬を呼び起こす依代(よりしろ)となっていた。良い道具には、特有の静けさが宿る。使い込むほどに手に馴染み、黙っていても信頼できる、そういう静けさだ。

この「怪物」を握るとき、僕はようやく、水の世界に対して臆することのないトラウティストとしての自分を完成させることができる。それは単なる虚栄心ではない。あるか無いかも分からない魚信を期待しながら、幾千の孤独な対話を繰り返すサクラマス釣りにおいて、自分の思い描く釣りを貫くための、僕が僕であることを守り続けるための、もっとも強固な鎧のようなものだ。

Photography by Mitsunori Shiba

記憶に焼き付く巨大魚の軌跡

2017年、初挑戦の黒部川は散々だった。ポイントは見抜けない、キャスティングは駄目、ルアーコントロールも同様。結局、魚の影すら見ずに終わった。一方で、黒部川の鮮烈な流れは僕を強く惹きつけた。激流を遡上する鱒も、それだけ力強く、水面から高々と飛び出しては、素晴らしい跳躍を見せてくれるだろうと想像をしていた。

そして、初戦敗北から7年後、2024年にまたチャンスが巡ってきた。
サクラマスアングラーには、川の状態を説明する独自の言葉がある。「流れを読む」といった言い方だ。そして、流れの読み方はアングラーの数だけ存在する。僕はその年、熟練のトラウティストである釣友と共に黒部川に挑んだ。

Photography by Mitsunori Shiba

僕たちは、瀬を読む釣り、特にサーフェスを釣るミノーイングを得意としていた。黒部の古い大橋の上流にある瀬は、この川がいちばん大きな音をたてて流れるところだったが、急流と化した川は徐々に狭まり、轟音と水飛沫となって駆け抜ける。

その流れで、思いがけないことが起きた。とてつもなく大きな魚を見た。アップストリームに入れたルアーに、波打つ水面を割って黒い背鰭が矢のように飛び出した、瞬間。PEラインがパッとはじけ、金属的な風切り音が響き、ドラグが鳴った。ロッドが右手を離れて飛んで行きそうになった。魚が一匹、ずっと下流の瀬で跳ね上がったが、あまりにも距離があり、僕の釣りとは関係のないように思われた。だが、その直後にラインがその跳躍と一直線に結ばれていることに気づき、戦慄する。魚は一瞬で下流へ疾走し、今度は猛烈な勢いで僕の足元へと突っ込んできたのだ。ごく近くで水面が爆発すると、ロッドもろとも反り返ってよろけそうになった。

水中に戻り、荒瀬を下流へ疾走する魚を、ロッドの曲がりだけで諌めようとした。しかし、30m以上ラインを勢いよく引き出されたところで、この魚を説き伏せるのは難しいと判断し、魚を追いかけて流れを下流へ走った。その後、この巨大魚は激流の芯へと3度、猛烈な疾走を繰り返し、僕の10年程の鱒釣りを思い返しても、類を見ない長期戦となった。目に見えない、強い力に引きずり込まれそうになり水飛沫の中で転げそうになりながら、魚を岸辺近くまで引き寄せるも、さらに2、3回、魚は反転し、瀬の深みを目指す。

ただ、魚もそこまで来ると疲れを見せ始めた。瀬の釣りでのランディングは一度で決めなければ二度は無い。魚が水面で一休みしようとしたとき、ロッドを持ち上げ、潜る隙をあたえずに60cm口径のネットに魚を収めた。

僕は釣友と共に、ネットから巨大魚を掬って、浅瀬に横たえた。翳りを見せ始めた初夏の陽光に照らされ、サクラマスが輝く。釣友がメジャーをあてると70cmを振り切った。コイツを一人で獲れたなら、もう一人前だ。彼がそう言ってくれたのが嬉しかった。

夕暮れの迫る中、夢中でシャッターを切った。あの日、最後のサクラマスの姿は、一枚の大写しの写真さながら、尊敬する釣友とともに、僕の心に焼き付いている。

Photography by Mitsunori Shiba

新生モンスターリミテッドへの想い

人にはひとりひとりに生きる場所があるように、ロッドにも1本ずつ本然の佇まいがある。新しい系譜のモンスターリミテッドは、静かで、しなやかで、力強く澄んでいる。それはロッドに触れることで冷徹な体感へと変わる。

グリップを強く握り込んだとき、はっとした。ぼんやりと頭でイメージしていた感覚が静かに像を結んでいく。ブランクの放つ鋭い風切り音、グリップに伝わる水流の軽快なリズム、激流を疾走するサクラマスの沸き立つような躍動。

音だ。
音の伸びる方向にすっと景色が開けていく。懐かしい旋律を奏でる流れ。川面を割って巨大魚が空高く跳躍するのが見える。

僕は水辺に立ち、静かにロッドで水面を渡る風を捏ねる。まるで目に見えない楽器の弦を振動させ、強靭でしなやかな音色を水の世界に飛ばすように。この新しいロッドの真価を引き出し、右腕の延長として響かせるには、もう少し時間がかかるかもしれない。

ただ、新しくなったとはいえ、研ぎ澄まされたモンスターリミテッドを握ったときに感じたのは、まるで使い古したカメラのシャッターを切るような、手に馴染んだ万年筆が紙上を滑るような、心地よさに似た安心感であった。

北海道で初めて「怪物」と出会った頃に、僕がそのロッドに抱いていた荒々しい気性は、合理的デザインによる浄化を経て、より静かで、より鋭利でありながらも情緒を伴った一振りへと変貌を遂げていた。それは、ただ魚を獲るための道具という域を超え、水の世界と人間を繋ぎ、モンスタートラウトとの対話を試みるための、最も純度の高い依代へと進化したと僕は感じている。

Photography by Mitsunori Shiba

カメラを置き、ロッドを握る時

アニメ『カウボーイビバップ』の主人公スパイクが言っていた、「片方の目で過去を、もう片方の目で現在を見ている」と。シャッターを切った瞬間、その光景はすでに過ぎ去った記憶の断片になる。しかし、カメラを収め、ロッドを握り直すとき、僕はようやく現在という激流に足を踏み入れる。

サクラマスはあてどない夢である。どれだけ川を歩き、キャスティングを繰り返しても、報われない日ばかりだ。いや、たとえ幸運に恵まれたとしても、さらなる一尾を夢見て、際限なく川を上り続けてしまう、まるで鱒に取り憑かれたかのように。

それでもトラウティスト達が流れに向かうのは、あの静寂が破砕される瞬間の、震えるような美しさを知っているからだ。

地上に生きる人、水の世界に生きる魚、その境界となるサーフェス・フィルムでサクラマスの野生美に触れたい。その想いから僕は流れへショートリップのミノーを投じつづける。握りしめたグリップを通じて、激流の中から巨大魚が川面へと浮上する気配を感じる。

霧が晴れ、水面に新しい光が差し込むひととき。深く息を吐いて、ロッドを振り抜く瞬間。美しい魚に出会えるかどうかは、もしかしたら二の次なのかもしれない。この最高の一振りと共に、今、僕は僕自身と向き合うために、この流れに立っている。

Photography by Mitsunori Shiba

エピローグ

新しくなった一振りのロッドとともに、僕はまた、次の流れへと向かう。 ロッドを振り抜き、シャッターを切るたび、サクラマスの鱗が虹色に輝く瞬間が、何度も何度も、鮮やかに現像されていく。幽明の境を超えて、あの懐かしい故郷の流れに届くように。伝えそびれた風景のすべてを掬い取るまで、僕はこれからも、流れを歩き続ける。

Photography by Mitsunori Shiba
Photography by Mitsunori Shiba

柴 光則(Mitsunori Shiba)
Official Site: https://mshibasfc.wixsite.com/mitsunori-shiba
Instagram: @shybamitsu

TACKLE & EQUIPMENT タックル&装備

使用タックル
ロッド:カーディフ モンスターリミテッド シリーズ

カメラ:α7R V(SONY)、OM-1(OM SYSTEM)

※記事内で紹介されている製品は、旧モデルの可能性がございます。

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